独りごと
公開日:2016.06.03

人生を軽く振り返って見たら、笑えてきました

僕は21歳の時に個人事業主として独立しました。商品はマイラインというサービスで、それまではNTTの独占事業だった固定電話の自由化により、新しく出てきたサービスです。NTT以外にも、現在のKDDIや日本テレコム(現在のソフトバンクテレコム)や平成電電など、当時は様々な企業が新規参入をし、NTT独占だった市場をリプレイスしようとシノギを削っていた時代。

21歳で初めてのビジネス挑戦

弟がマイラインを取り扱う会社で務めていたことで、このサービスを知った僕は「無料で電話会社を切り替えるだけで、電話代が安くなるなんて、切り替えない人がいるわけ無い!」と奮い立ち、当時のテレコムサービス(現在のソフトバンクテレコム)の代理店権利を取得するために、あちこちに電話をかけて、代理店にさせて欲しいと営業電話を掛け続けました。コネもお金も経験も学歴も無かった上に、当時家庭の事情で莫大な借金を背負うことになってしまったので、かなり切羽詰まった状況だったのを覚えています。

暗中模索と言う言葉、闇の中で1人きりという言葉がぴったりと似合うほど、がむしゃらにチャンスを掴もうと、もがいていました。タウンページや、求人情報誌で、マイラインを取り扱う会社に電話をすれど、キャリアも無い、法人でも無い、保証金も無い、コネクションも無く、いきなり電話をしてくる若人にチャンスは中々ありません。今思うと電話回線サービスは色々とリスクもあり、大手キャリア及びその代理店としては適切な判断です。しかし、諦めきれない当時の僕は東京の会社で取引してくれる会社を見つけることが出来ました。

そこから、特殊な方法で経験のある仲間を集め、5人の部隊でガンガンと攻めます。経験者を集めただけあって、最初はそれなりに好調でした。しかし3ヶ月を過ぎた頃に「戻入」と言う業界独自のキャンセル規定による返金処理が始まり出します。それによって、キャッシュフローは著しく悪化し、借り入れの返済もままならない状態になります。

解散し、知人と一緒にWEB業界へ

そんなこんながあり、22〜3歳の頃にはマイラインのチームは解散する事になります。そして同じく独立していた知人(現在の弊社のプログラマー)とホームページ作成とSEOを行なう請負業をはじめます。また某上場企業の役員から、時を同じくして独立した先輩(夜の街でみんGOL仲間として知り合い、現在は年商100億近くの会社に成長)から仕事を請け負う形でホームページ作成業を始めました。最初はサーバーやドメインなども分からずに、飛び込み営業をしたりもしましたが、段々と経験を積むと、ディレクターや営業としての最低限のキャリアを積むことになります。その時に入社した20〜21歳のデザイナーが現在、一緒に働くデザイナーです。

法人化を行い、独立へ

この頃はまだ借り入れの返済が出来ず、その目処も立たぬまま相も変わらず、自転車操業の日々です。自分の身の回りにある問題を解消するには独立しか無いと決断し、法人化を決断します。当時24歳。WEBマーケティング会社として、大阪の本町にあるボロビルから始め、仲間を増やし、徐々に規模を拡大します。オフィスも最大80坪の場所を借り、東京にも支社を出します。有名企業の社長を含め、外部からの資金調達も行い、突き進むしか無いほど勢いで、流れを止められない会社でした。最大40名近く、売上げは3億円近く、法人の顧客数は500社以上に達し、業界ではそれなりに知られる会社になりました。しかし若くして独立した僕の実力不足により、経営にほころびが出始めます。

経営者としての最大の失敗、無念の倒産へ

忘れもしない29歳の2011年の5月に倒産への道を決断しました。顧客、スタッフ、取引先、家族に対して、これ以上は迷惑を掛けられないと言う現実と、精神的な限界と、物理的にも営業を継続出来ないインフラ面の問題が出てきたのです。顧客のほとんどは先に書いた先輩の会社に引き継いで頂き、最終的には弁護士や裁判所による民事での司法判断を受ける事になります。そして手元に現金20万円ほどが残り、東京に住んでいた僕は家族と共に関西に戻ることに。この時の心境を思うと未だに胸が苦しくなります。

広告業を中心に、再起業を決意する

倒産により経営者としての自信は失いましたが、プレイヤーとしての自信は全く失せていませんでした。お金を生みだす事と改善を重ねる事に長けていると自負していた当時の僕は、自分1人であれば、いくらでも稼げると思っていたのと、しんどい時に助けてくれた人達への義理を果たすために様々な方法でビジネスを行います。自分の関係する会社のスタッフとして働きながら、ビジネスを立ち上げます。

そして2012年12月に現在のエックスラボを設立。スタッフは0人で、1年目には売上は2億5,000万円、2年目には4億9,000万円、3年目には5億5,000万円を単体で作ります。グループ会社を含めた売上げ約10億円のほとんどを作り上げるまでに復活しました。

広告やマーケティング、企画が好きな僕にはピッタリの仕事で、未だに仕事自体は楽しいと思えます。

人生を振り返って学んだこと

かなり簡素にまとめた説明ですが、大体こんな20代でした。この間には、親の借金の返済、自分の事業の解散、独立、倒産、再起業、病気、借金返済、家族の死など様々な事が起こります。まるでドラマの様な人生で、ずっと近くで見ていた現在のスタッフも僕の人生を話すと笑けてくるほど、非現実的な事が起こります。「家族も親族も親までも」良きにしろ、悪きにしろ驚きや心配の連続です。

浮き沈みのある人生でしたが、ずっと人には恵まれ、大きな運にも恵まれ、それなりのビジネスチャンスにも恵まれる人生でもありました。目の前の事を頑張っていれば大きく成長できることも感じたかけがえのない時間かもしれません。しかし、もう1回この人生を過ごせと言われたら、切腹したほうがマシだと思っています。マジで。

悔しい思い、怒りで眠れなかった夜、恥ずかしい出来事、死んだほうがマシだと何度も思ったこと、様々なものを犠牲にした日々、辛くて起きれなかった事、今思い出しても色々な事がありました。

しかし、この経験と反比例するように想像も付かないチャンスや人との出会い、お金の良い巡りも出てくるのです。一般離れした激しい経験に、一般離れした大きなチャンスを前に「神様、運勢のプラスマイナス計算をして、せめて程々に分けて届けてくれませんか?」と天にお願いしたくなるほど、幸と不幸が固まっています。

様々な人から言われる事は、これからは幸が多い人生との事ですが、それを本当に望みます。しかしある側面では不幸とも言える出来事でしたが「塞翁が馬」の諺どおり、ある側面では何にも代えがたい経験や学びになり、今に大きく活かすことが出来ています。

この間に学んだことの1番はやはり「人」。僕にとってはビジネスも人生もこれに尽きるかもしれません。そして自分なりの哲学も生まれています。

ビジネスで重要だと思うことと、現在の壁

ビジネスを行なう上で大事だと思うようになった事は「マーケティング」だとよく言っていますが、実は僕の場合、マーケティングでのビジネスのインパクトは20〜30%ぐらいです。マーケティング力は必須だと思いますし、それが無ければ今はないです。そしてこれからもマーケティング力は高めたいとも思います。しかし、マーケティング力だけではたった1人で年商5億以上は作れません。

ではビジネスの残りの70〜80%を構成するものは何でしょうか。

その答えが倒産で0どころかマイナスを大きく抱えた僕を浮上させ、レバレッジを利かせた経営に必要なことであり、それ故に現在の僕の壁でもあります。自分自身のパワーでやってきた会社らしく、天井にぶつかってからは伸びを見せません。維持こそ出来ても、これ以上の成長には別の問題があるようです。しかし、人数規模からすればそれなりの売上げや利益があったので、下手をすればコンフォートゾーンに居座り、ぬるま湯に浸かりそうにもなります。マーケティング以外の理由で、僕がマイナスからのスタートでビジネスを成長させ、そして現在またぶつかっている壁。

その答えは2つはあります。

しかし、書こうと思いましたが、さすがにもう眠たいです。※この記事を書いているのは会食後の深夜2時40分過ぎ。。それなりに要望があれば、この重要な部分はまたの機会にお伝えしたいと思います。

今回は今夜の会食相手だった尊敬する社長にこんな内容を書いてみたら?と言われたのがキッカケです。あまり世に出すには恥ずかしい内容ですが、そんな奴でも頑張ってるんだぁと励みにして、笑ってあげて下さい。

 

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執筆者:藤 勝行 (http://xlab.co.jp)

4年間経営した会社を倒産後、再度起業したインターネット広告代理店(エックスラボ社)を3期目で年商約10億円グループにまで成長させる。集客をしたい中小企業の経営者や大手企業の担当者、同業他社までも参加するセミナーを開催する起業家。広告マン兼マーケッター。

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