独りごと
公開日:2016.06.16

与えよ、さらば与えられん?

キリスト教徒でなくても聞いたことのある「与えよ、さらば与えられん」と言う言葉。正式な教えは学んだ事はないのですが、この言葉を聞いた当初は「何かを求めるのであれば、まずはあなたが人にしてもらいたい事をしなさい」と認識していました。

もちろん、こう言った認識の方は多いと思います。しかしこの認識の裏には「自分の行う行為に対して、相手に見返りを求めている」のでは?と、考えるようにもなりました。もちろん経営者であれば、ビジネスとして費用対効果、労力対リターンを求めるのは自然ですし、そうあるべきだと思います。しかしビジネスでは様々なシーンで人と交わりますので、ある側面では「奉仕の精神」も必要なケースもあります。

奉仕とは、社会、家族、会社、上司、同僚、部下、仕事関係の人、友人、恋人、親族、ご近所さんなどに対して、自分がしてあげられる何かをしてあげる事。しかも無償で。もちろん人間なので無償でやっている事だからこそ、ありがとう、ごめんね、などの気持ちの言葉が欲しいものですが、この言葉を求める事自体が、見返りを求めているのかも知れません。お礼を言う人もいれば、当たり前のように人からのほどこしを受けて感謝をしない人も勿論います。

自然の原理ってあるよねって話

しかし大きく見ると世の中って、自然の原理があるんじゃないかなぁって感じる事が多々あります。日が昇り、日が沈むように、寄せては返す波のように、満ちては欠ける月のように、春夏秋冬があるように、食物連鎖があるように、自然の原理や法則はあるはず。ビジネス用の心理学を学び、実践していると人間心理って根底は一緒。しかし、性格や価値観、環境や考え方でいくらでも言動は変わります。でも人の感じる人間心理(自然の原理)は一緒なんです。

なんでも欲しがる人って・・・

なんでも欲しがる人は、自分のところにお金やメリット、得になる事をかき集めようとします。しかし、その言動を周囲は見ているので、一時的には得があっても、必ずしも長期的に得になるとは言えません。例えるなら、お風呂でお湯を自分のところに集めようと両手でかき集めると、指先や腕からお湯はこぼれていきます。何でもかき集めようとすれば、このようなイメージになりませんでしょうか?

見返りを求めずに与えられる人って・・・

先ほどの例を使うと、お風呂でお湯を押し出すように向こうに押しやると、お湯が自分の胸元に入ってきます。お湯が戻ってくると想わずとも、周囲に押し出そう(渡そう)とすると、自然と、自分の中心にお湯が集まるのです。これも自然の原理です。という事は、社会や周囲の人に与えられる人って、自然と自分の胸元に「何かのお返し」が入って来る可能性は高いはずです。お返しを求めずとも。

お返しを求めてしまうと、ごく普通なリターン、想像できるリターンな気がしますが、見返りを求めずに振舞っている言動って、直接の相手から返って来なくても、回り回って、自分の胸元に形を変えて入ってきているはず。そう考えたほうが人生は豊かな気がします。

常に見返りやメリットを求め、メリットがなければ動かない人と、見返りもメリットも求めずに周囲を助けられる、奉仕出来る人の胸元って、どうなんでしょうね。どちらの胸元が、運気や人徳や人望、もしかすると直接のお金やビジネスチャンスかもしれませんが、どちらの胸元にそういった幸運が入って来る可能性は高いでしょうか。

今一度、自分のスタンスを、いや胸元を考えてみても良いかも知れません。

偉そうな事を言えるほど、僕に出来ている事ではありませんが、意識をするのとしないのとでは、日常に見える景色が違うと思います。幸せの波紋ってあると思うし、その波紋を作るのは自分。

運気や人徳って、胸元一つのスペースで変わる気がするなぁ。

 

 

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執筆者:藤 勝行 (http://xlab.co.jp)

4年間経営した会社を倒産後、再度起業したインターネット広告代理店(エックスラボ)を3期目で年商約10億円グループにまで成長させる。集客をしたい中小企業の経営者や大手企業の担当者、同業他社までも参加するセミナーを開催する起業家。広告マン兼マーケッター。

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